硝子をめぐる冒険
第22回 「研究開発における『偶然』との出会い」
日本板硝子株式会社技術研究所 研究促進グループ
会社に入って23年、就職前の大学、大学院での3年間を加えると26年間研究開発に関わらせてもらってきた。26年間もの間には随分色々な経験をし、色々な偶然と出会い、そしてこの偶然に助けられてきた。この偶然の中で役に立つものを見つけることを今風にはセレンディピティー1)と言うのだろうが、個人的にはこの言葉は好きではない。そこには、人間の傲慢の臭いを感じるからである。この偶然は自然が与えてくれた僥倖に過ぎないのであり、我々はこの僥倖を与えられることにもっと謙虚に感謝すべきと思っている(もっとも、常に何らかの有用な発見を目的にしている自然科学の世界での発見をセレンディピティーというのは適当でなく、「擬セレンディピティー」というべきであるという人もいる2))。こんな話には、ネタは新しくなければと思うが、何分会社での仕事に関してこの主の話はしにくい。しかし、それ以上に何事にも増して強い印象として残っているので、20数年前と古い話になって恐縮だが、学生時代の人工骨用結晶化ガラスでの経験をお話させて頂く。
この結晶化ガラスとの出会いは、1980年10月の修士課程2回生の時に遡る。京都大学化学研究所で、修士研究として人工骨材料の開発をテーマとして与えられた私は、田代教授,小久保助教授の指導のもとリン酸カルシウムセラミックスの作製を融液の一方向凝固という方法で試みた。それなりに面白い結果は得られたものの、クラックが入りやすいという構造材料としては致命的な欠陥からこの研究は失敗に終わり、早々と修士論文の作成にかかり9月には論文が完成していた3)。「これで残り半年遊んで暮らせる」という期待は糠喜びに終わり、次なるテーマとしてこの結晶化ガラスの研究を命じられたのである。
この結晶化ガラスは、元々助手の伊藤さん(現旭硝子)を中心に研究されていたもので、ガラスマトリックス中にオキシアパタイト (Ca10(PO4)6O) とウォラストナイト (CaO・SiO2) の結晶が析出し、生体親和性が良く、骨と結合することが分かっていた。
図1 骨とガラスセラミックスの接合の関係4)
次なるステップとして高い強度を持つものを作ることが試みられていたのだが、伊藤さんがアメリカに留学されることになり、その一端を私が受け持つことになった。伊藤さんは、繊維状のウォラストナイトが配向した材料を作ろうとされていたが、技官であった玉城さんに引き継がれたその研究は困難を極めていた。私に与えられた課題は、発想を転換し結晶が均一に析出した結晶化物を得ることであった。卒業研究で結晶化ガラスを取り扱った経験のあった私は、早速核形成成分の添加や分相促進など、均一結晶化ガラスが得られそうなことはありとあらゆることを試してみた。しかし、配向性の極端に強いウォラストナイト結晶を均一に析出させることは非常に困難であり、この試みは失敗に終わった。そんな中で主に以下の三つの知見が得られた。
- ZrO2を溶解度以上に加え、良く混合した後融液をキャストしてZrO2粒子が分散したガラスとすると、一応均一に結晶化が起こり、結晶化物の強度は比較的高かった。このことは、均一に結晶化させれば高強度のものが得られるというコンセプトが正しいことを示していた。
- TiO2を添加した組成は、比較的均一に結晶化した。後になってこの組成は骨と結合しないことが分かり、その原因の究明はこの結晶化ガラスが骨と結合するメカニズム解明の一つのきっかけとなるのだが、この研究は私によるものではない。
- CaF2を添加するとアパタイト相はフッ素アパタイト (Ca10(PO4)6F) に変化し、このフッ素アパタイトはオキシアパタイトより極端に安定であった。この知見は、後述するように後に役に立つことになる。
定法によるガラスの結晶化を諦めた私は、小久保先生の発案でガラス粉末を焼結した後結晶化させるという方法を試みることになった。元の組成に戻りガラスを粉砕、篩い分けした後、ハンドプレス機でプレス成形した小片を電気炉で加熱処理してみると、きれいに焼結・結晶化した結晶化ガラスが得られた。XDで結晶相を確認すると、粉砕しないガラスを結晶化した場合と同じオキシアパタイトとウォラストナイトであった。最初の難関がクリアされた。しかし、問題が一つあった。得られた結晶化物には多くの気孔が残されていた。次に、焼結度を上げるため、粉末の粒度を小さくすることを試みた。狙い通り焼結性は改善され、気孔率は一桁低下し強度を測定するのに足るレベルに達した。しかし、ここで新たな問題が生じた。結晶相の一つで、当時は骨との結合に必須と考えていたオキシアパタイトの一部が、骨との結合性が悪いリン酸カルシウム (Witlockite : β-3CaO・P2O5) に変わっていたのである。これには頭を抱えた。ここで登場したのが前述のフッ素アパタイトである。フッ素アパタイトが非常に安定であることを思い出された小久保先生が、CaF2を添加したらオキシアパタイトが安定化できるのではないかというアイディアを出された。早速、CaF2を種々の量添加した組成のガラス粉末の焼結を試み、0.5%のCaF2を添加するとオキシアパタイトの分解を防ぐことができることが分かった。また、このCaF2添加は、ガラスの粘性を低下させ、粉末の焼結を促進するという予想外の好ましい効果ももたらしてくれた。添加量が0.5%という少量で済んだことは幸いであった。CaF2を多量に添加すると、溶融時に有害なフッ素ガスが多量に発生するからである。研究はこれで終わるはずであった。この時既に就職が決まっていた私は、これまでの結果をまとめながら、強度の確認を始めた。しかし、次なる難関が待ちかまえていた。
小サイズの試料で測定可能な圧縮強度は問題なく測定でき、約1GPaと十分な強度を有することが確認された。問題は、脆性材料で問題になる曲げ強度測定であった。測定が可能なより大きなサンプルを作ろうとしたのだが、それまで何の問題もなくできていたプレス成形体ができなかった。プレス型から外すと、成形体にはクラックが入っていた。また、色々な工夫で一見クラックが無くなったように見えた物も、焼結してみると内部にはクラックができていた。溶融の専門家が揃っていた研究室にも、この問題は難問であった。専門外のセラミックス粉体に関する文献の調査が始まった。問題は、プレス時の粉体の滑りにあり、滑りを良くするよう潤滑剤を添加すれば良いことが分かった。しかし、これまでの経験から、余分な成分は加えたくなかった。結局試したのは、水の添加であった。何故水を選んだのかは思い出せない。誰かにヒントをもらったのかもしれないし、一番身近にあって焼けば無くなる成分として思いついたのかもしれない。最初はうまくいかなかった。プレス成形体には同じようにクラックが入った。水の添加量を増やしていき、添加量が10%まで達した時クラックの無い成形体が得られた。何度も繰り返したが、何度やってもクラックの無い成形体ができた。期待を胸に、成形体を同じ加熱処理条件で焼結することを試みた。これ以上の試練が私に与えられることはなかった。曲げ強度を測定するのに十分な大きさの焼結体が得られ、測定された曲げ強度の結果は140MPaという骨の高密度部に匹敵する強度を示していた。こうしてようやく、6ヶ月に渡る私の苦闘と多くの偶然との出会いは終わった。卒業まで残された時間は数週間だった。
図2 結晶化ガラス人工骨の製品一覧5)
この話には、20年という長い年月を経た後日談がある。一歩間違えば半身不随になりかねなかった強度の頸椎椎間板ヘルニアを患った家族が、人工骨のお世話になることになったのである。椎間板2カ所を削除し、その隙間に腸骨(腰骨)から取った骨をスペーサーとして挿入し、その腸骨にできた隙間に人工骨を埋入するという大手術であった。前日手術に関する説明を受けた後、私は執刀医に使われる人工骨は何かと尋ねた。セラミックス製との答に、私は自分が仕事柄セラミックスに詳しいことを告げ、どこの会社のどんな材質かさらに質問した。先生の答は、残念ながらこの結晶化ガラス製のものではなく、水酸アパタイト (Ca10(PO4)6(OH)2) 焼結体であった。術後、数日、数週間、数ヶ月毎と段階を経て骨と人工骨の結合状態がレントゲン撮影によりを観察されたのだが、先生の口から「骨と完全に接着したからもう安心」と言われるまでに実に数ヶ月を要した。
この時私は、今まで想像していたより遙かに多くの患者さんに人工骨が使われていることを知り、自分がその治療に多少なりとも貢献できたことを知った。しかし、今使われている材料にはまだまだ問題が多い。一度埋め込んだ材料がうまく機能せず、想像を絶する苦痛を伴う手術を繰り返されている方々が大勢おられることを知った。この分野の研究者が幸運な偶然に出会い、患者さんの苦痛を救う新たな材料が開発されることを願ってやまない。
最後に、この研究をご指導頂き、20余年を経てこの研究内容を公表することを快く承諾して頂いた小久保先生に心より感謝致します。
参考文献
1) セレンディピティーの語源:「セレンディップ(スリランカの古称)の3人の王子」というペルシャのおとぎ話にちなみ、主人公の王子たちが探し求めていたのではないが偶然と賢明さに助けられて発見を重ねていく能力に感心して16世紀のイギリスで作られた言葉とされる。
(久保田:化学 48, 595 (1993))
2) R.M.ロバーツ,「セレンディピティー」, 化学同人 (1993).
3) 小久保正, 長嶋廉仁, 田代仁, 窯業協会誌 92, 295-304 (1982).
4) 小久保正, 伊藤節郎, 田代仁, 窯業協会誌 89, 374-381 (1981).
5)
日本電気硝子カタログ
※NTR News第24号 (2004年4月1日発行) に掲載

