硝子をめぐる冒険

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硝子をめぐる冒険

第28回「推理小説型研究とSF小説型研究」

内野 隆司 氏

神戸大学 理学部化学科 助教授

研究者には大別して、「推理小説」型と「SF(サイエンス−フィクション)小説」型があるように思う。前者は、すでにある現象が起こることがわかっており、なぜその現象が起こるのかを推理する。言い換えれば、自然界の謎解きに没頭する研究者であろう。「推理」は英語で「theory」と言うらしい。Theoretical Physicsは、通常「理論物理学」と訳され敷居の高い難解な印象を受けるが、「推理物理学」と訳せばもう少し人口に膾炙した言葉になるのではないだろうか。一方、「SF小説」型の研究者とは、世の中にないものを自分の手で創造することに喜びを感じる研究者であろう。私の子供のころは、壁掛けテレビ、移動電話(携帯電話)、パーソナルコンピューターなどは絵に描いた餅であったが、今はそれが実現している。「SF小説」型研究者が、自分達の手で、SFをSNF(サイエンス−ノンフィクション)に変えようと努力した賜物であろう。

さて、私はどちらの部類に属するか考えて見ると、年齢、環境によって「推理小説」型になったり、「SF小説」型になったりしているようだ。私は、高校を卒業後、工学部に入学したが、その中でも化学系を選んだのは漠然と何かを作りたいという思いがあったような気がする。従って、もとは「SF小説」型であったと思われるが、大学4回生になって研究を始め、研究が面白いと思うようになったのは、「推理小説」型研究を通してであった。そのいきさつは以下のようである。

私が通っていた京都大学工学部工業化学科では、3回生のときに各研究室持ち回りで学生実験が行われていた。電気炉なるものを初めて知り、そして自分で実際にガラスを溶融したのはその学生実験が初めてであった。ガラスの溶融実験を担当していたのは、当時第1講座と呼ばれていた曾我直弘先生のところの研究室で、ホウ酸塩ガラスに遷移金属か何かを添加して、どのように着色するかというような実験をしていたように思う。私が鮮明に記憶しているのは、ガラスを溶融したということよりも、その実験を担当していた院生の学生さんが、「ガラスはなぜガラスになるのかまだわかっていない。アイデアを募集しているので,何かよい考えがあればどんどん提案してほしい」というような内容のことを実験の合間に言っていたことだ。私は,ガラスといえばエジプトの古代からある材料で、そんなものが最新の研究の題材になるのかと思っていた。しかし、その話を聞いて、まだ解明されていないというガラスの謎とはどんなものかと、,ガラスそのものに興味を抱くようになった。

学生実験も一通り終わり、卒業研究のための研究室配属を決めるころになった。先の理由で、ガラスには興味があったが、当時から曾我研は非常に人気があり、私のように、学生時代、クラブ活動に生活の重点をおいていたものは、なかなか入るのが難しかった。配属は、学生間の話し合いで決められたが、すでに学科内の特に優秀な者が曾我研究室希望を出していた。そこで、私は、宇治にある、原子エネルギー研究所(現在はエネルギー理工学研究所と改名している)の岩崎研究室を志望した。宇治キャンパスは吉田キャンパスから離れているので、学生はなかなか行きたがらない。しかし、京大の宇治キャンパスを訪れたことがある方はご存知だと思うが、宇治は本当に良いところである。吉田キャンパスの学問の香り漂う歴史あるたたずまいも良かったが、私は宇治ののんびりとした静かな雰囲気が非常に好きであった。私は、希望通り4月から岩崎研の学生となることになった。

4月になって研究室に配属されるなり、私は、教授の岩崎又衛先生に「8月までクラブ活動があるので、午前中で帰ります」などど、今から思えば誠に不敬なことを言ってしまった。しかし、先生は寛大にも「よろしいが、9月からはちゃんと来て下さい。」と、私のわがままを聞き入れた下さった。今、自分の研究室の学生がそんなことを言い出したら、果たして私はそれを聞き入れられるだけの度量はあるだろうか。

配属されて間もないころ、「研究テーマについて話しましょう」と岩崎先生からお呼びがかかった。先生の部屋の長椅子に腰掛け、先生がテーマについて話された時のことを今でもはっきりと覚えている。

「ガラスの研究をしてもらいます」

その言葉が、先生のおっしゃられた最初の言葉だった。そのとき、大げさだが、何か大きな波動が自分の中で沸き起こったような衝撃的な気分になった。

岩崎先生は、当時同じ宇治キャンパスの化学研究所におられた作花済夫先生と三高時代の同級生で、作花先生から、ガラスの中に水が入るという話をお聞きになった。それを、原子力発電所から出るトリチウム水の固定化に利用できないかと考えたらしい。しかし,大学で行う研究はそのような実用面を看板に掲げる必要はなく、ガラスと水の反応に関する基礎的研究として行ってほしい、というのがその時の岩崎先生の話の内容だった。

図らずもガラスの研究ができるということになり、私は興奮した。そして、ガラスと水の反応実験を重ねるうちに、どのような状態で水がガラスの中に存在しているかということに、強い興味を抱くようになった。実験データをもとに「推理」を重ねるうちに、やはり、ガラスと水の電子状態を知る必要があるという結論に達した。そして、博士課程では、実験と共に量子化学計算を用いた構造計算にも没頭した。1980年代後半では、まだ、ガラスの電子状態を計算することはまだそれほど広くは行われておらず、これらの結果でなんとか学位を取得することができた。

もともと、研究者になるつもりも、また、なれるものとも思っていなかったので、博士取得後は、迷うことなく日本板硝子株式会社に就職した。約半年間の研修の後、伊丹の研究所に配属された。そこでは、ガラス製造、開発に携わる多くの技術者、研究者の方を目の当たりにし、るつぼレベルの研究とは異なるガラスの面白さ、難しさを身をもって体験させていただいた。特に印象に残ったのは、入社当時、試験課と呼ばれていた、ガラスの分析部門を担当するセクションにおられる方々のガラスに対するこだわりであった。ガラスの、切断、研磨の基礎は、そこにおられたTさんに直接教わった(また、スプーンをつかわず、インスタントコーヒーに砂糖とクリームを均一に混ぜる秘伝も教わった)。Tさんの研磨したガラスは本当に美しかった。Tさんのみならず、研究所の方それぞれが、それぞれの立場でガラスという材料に愛情を注いでいたように思う。その試験課は、私が入社後まもなく分社化され、日本板硝子テクノリサーチ(NTR)と改名されたが、その後もNTRの方々には仕事のみならず、野球、サッカーと多方面にわたりお世話になった。

日本板硝子に就職して3年間後、また縁あって大学に戻ることになった。もう紙面が尽きてしまったので、残念ながらその後の研究について書くことができなくなった。今は、「推理小説」型と「SF小説」型研究をいったりきたりしながら、研究を続けている。いつか、私たちの仕事が「SF」から「SNF(サイエンス−ノンフィクション)」となるのを夢ているのだが、それが現実となるのはいつだろうか。

写真

1995年3月、伊丹の研究所のグランドで、サッカー部の送別試合をしていただいた時の写真です。

NTR News第30号 (2006年4月1日発行) に掲載

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