硝子をめぐる冒険

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第29回「X線分光法による精密化学状態分析」

伊藤 嘉昭 氏

京都大学化学研究所 助教授

伊藤研究室のイメージ

化学状態とは、物質を構成している原子それぞれが持つ特徴の1つで、その物質の様々な特性(触媒機能、伝導性、光学特性など)を決める重要な要因であります。これらを解析することは、物質・材料分野の最も基礎をなす重要な研究であり、空間的な原子配列(構造解析)と併せることで、物質の特性を解明することが可能となります。

化学状態を解析する方法として現在最も広く普及しているのは、X線光電子分光法 (XPS) であります。この方法では、X線管球やSR光などからのX線を試料表面にあて、光電効果によって放出される光電子の持つエネルギーを詳細に調べることによって化学状態を解析します。電子分光であるため、基本的には試料を超高真空下に入れる必要があることから、特に液体試料、含水物や生物系試料などは測定が困難であります。また、試料から電子を放出させるため、原理的には試料が正に帯電する傾向があり、特に粉末の絶縁物などでは分析が困難になる場合があります。

これに対して、高分解能2結晶蛍光X線分光法は、測定は通常の蛍光X線分析法と何ら変わらないが、XPSとほぼ同等の分析を行うことができます。分光系が2結晶分光器という通常の蛍光X線分析では用いられないタイプではありますが、超高真空系や高真空系などは不用であります。蛍光X線分光法を用いると絶縁体や溶液試料でも容易に非破壊測定を行うことが可能です。ここではまず電子状態の違いによって蛍光X線のプロファイルにどのような差が現われるかをTi Kα線を例に紹介し、次に私達が最近取り組んでいる混合物中の成分比分析についてCr化合物の結果と問題点を説明致します。

Kα, Kβ線などの特性X線のエネルギーが元素固有のものであることはよく知られています。しかし特性X線のスペクトルをより詳しく調べると同じ元素であってもその化学結合状態の違いによって僅かながらピークエネルギーに差があることがわかります。これが化学シフトと呼ばれるものです。その他ピークの幅や非対称性などにも違いが見られますが、どのような違いがどの程度現われるかは元素によって異なります。一つの例としてTiO, Ti2O3, TiO2(ルチル)の3試料について測定したTi Kαスペクトルを図1に示しました。プロファイルの違いはもちろんのこと、ピークの化学シフト(特にKα1)もお分かりいただけると思います。蛍光X線の化学シフトは一般に原子の価数と関係があり、多くの場合価数の変化に対して単調に変化します。ただし変化の方向については特に決まっていません。Ti Kα線の場合はこのように価数が高くなるにしたがってKα1, Kα2ともにピークのエネルギーが低くなる傾向があります。ここに示したスペクトルは高分解能蛍光X線二結晶分光器と呼ばれる分光器で測定したもので、試料からの蛍光X線を2度のブラッグ反射によって分光しています。このように2度のブラッグ反射を用いることにより分解能が向上し、例えばここであげたTiの例では(結晶はSi(220)を用いています)約0.05 eV程度以上のシフトを識別できると考えられ、3価と4価の違い(シフトは約0.6eV)よりさらに細かな原子の有効電荷の違いを調べることが可能です。また、既に述べましたように化学シフトの程度や方向は元素によって異なり、Si Kαの場合はここで紹介したTi Kαの場合と逆に価数が高い方ほど高エネルギー側にシフトします。

図1

図1.高分解能蛍光X線二結晶分光器で測定したTi Kαスペクトル

図2

図2.K2CrO4(重量比80%)とCr2O3(20%)の混合物の Cr Kαスペクトルとスペクトル分離の結果

次に混合物中などである元素が複数の異なる原子価を含む場合の各原子価の成分比分析についてCrを例に説明致します。ご存知の方も多いと思いますが6価Crは有害物質で最近ではその使用が規制されています。そこで環境など私達の身の回りに6価Crがどの程度含まれているかを調べる分析が重要となっています。最近私達は6価クロム化合物 (K2CrO4) と3価クロム化合物 (Cr2O3) を色々な割合で混合し、Crの蛍光X線を用いてその割合を決定できるか試みました。都合の良いことに、CrのKα線およびKβ線は3価のものと6価のものでプロファイルが大きく異なります。また、異なる物質であっても価数が同じであればCr Kα、Kβスペクトルはほとんど同じプロファイルになります。そのため、混合物からのCr KαおよびKβスペクトルを3価のものと6価のものに分離することはそれほど難しくありません。実際に混合物のCrのKαスペクトルを3価のものと6価のものに分離した例を図2に示します。この例はK2CrO4とCr2O3をそれぞれ重量比で80%, 20%の割合で混合した混合物のCr Kαスペクトルです。測定によって得られたスペクトル(図中の●)を2種類のリファレンスデータ (K2CrO4とCr2O3) とバックグラウンド(定数)の線形結合としてピーク分離したところ非常によく一致するように分けることができました。ところがここで得られた成分比(3価のスペクトルと6価のスペクトルの強度比)の結果を見るとK2CrO4 36.9%、Cr2O3 63.1%となり、混合した重量比から計算されるCr原子数比K2CrO4 61%、Cr2O3 39%から大きくずれています。他にも4種類の混合比について同様のピーク分離を行いましたが、表1に示しますようにその全てにおいてK2CrO4の混合比が実際より非常に小さくなる結果が得られました。この隔たりの原因として考えられることはCr原子から輻射された蛍光が試料の外に出るまでに受ける吸収量の違いです。基本的には試料が一様に混ざっていればどちらのCr原子からの蛍光も同じように吸収されるはずです。しかし、K2CrO4のCr原子からの蛍光はその原子を含む粒子の外に出るまではK2CrO4を通り、逆にCr2O3のCr原子からの蛍光はその原子を含む粒子の外に出るまではCr2O3を通るため、粒子のサイズが大きくなると両者の蛍光が試料の外に出るまでに吸収のされる量に差が生じます。CrKα1のおよそのエネルギーである5414eVの蛍光で経路の長さが10mの場合、K2CrO4の透過率とCr2O3を透過率の比は約0.82です。SEMによる観測から今回用いた試料の粒子径はCr2O3がサブミクロン程度でほとんど問題ないのに対してK2CrO4は100 μm〜200μm程度の大きなものでした。これらの結果を踏まえ、現在K2CrO4を数 μm程度以下の大きさまで粉砕して上で再度同じ測定・解析を行うことを検討しています。そしてその結果が混合した比から得られる3価と6価の原子数比と一致すれば「粒子サイズの小さな混合物」や「同一元素でありながら価数の異なる原子を含む純物質」の分析に役立つものと期待しています。

表1 様々な割合で混合したK2CrO4とCr2O3の混合物における成分比分析の結果
試料(重量混合比)K2CrO4 Cr原子数比(%) 成分比(%)
K2CrO4 Cr2O3 K2CrO4 Cr2O3
K2CrO4 90% + Cr2O3 10% 77.9 22.1 56.8 43.2
K2CrO4 80% + Cr2O3 20% 61.0 39.0 36.9 63.1
K2CrO4 60% + Cr2O3 40% 37.0 63.0 16.1 83.9
K2CrO4 40% + Cr2O3 60% 20.7 79.3 4.8 95.2
K2CrO4 20% + Cr2O3 80% 8.9 91.1 1.7 98.3

蛍光X線分析は大変手軽で液体を含む様々な試料の分析も可能です。さらに二結晶分光器の利用により高い分解能を実現できるため僅かな電子状態の差も識別することができます。しかし、これまで状態分析そのものに対する感心やニーズがそれほど高くなく、また分析事例も少なかったことから普及するに至りませんでした。さらに、定性分析としての蛍光X線分析の利用が少ない原因としてはリファレンスデータがデータベース化されていないことやそれらを用いて解析を行うソフトウェアがないことなどが考えられます。今後、蛍光X線による定性分析のためのデータベースやソフトウェアなどの環境を整えることによって蛍光X線分析による定性分析が広く利用されるようになることを期待しています。

なお、ここで紹介致しました内容は杤尾達紀氏((株)けいはんな)、庄司孝氏、藤村一氏(共に(株)理学電機工業)、山下満氏(兵庫県立工業技術センター)、大橋浩史氏、福島 整氏(物質材料研究機構)と共同で行っているものです。また、この研究は京都府地域結集型共同研究事業によりご支援頂いております。

NTR News第31号 (2006年9月1日発行) に掲載

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