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今回から始まる本コーナーでは、ガラスや試験分析に全く関係なく、「世は全て民俗学!?」をコンセプトに独断と偏見に満ちあふれた世界を展開させてみたいと思います。さて、その記念すへき(?)第一回は、「民俗学は文学してる?」と題して、柳田國男の名作「遠野物語」に触れてみたいと思います。

第一回 民俗学は文学してる?

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「日本の民俗学を学問の域にまで高めた人物は誰か?」の問いに、大部分の人が柳田國男(以下柳田と略)の名を挙げるだろう。柳田は兵庫県の人である。農商務省の高級官僚だったり、貴族院議員という肩書きも持っているとにかくエライ人である。一方、民俗学に果たした柳田の貢献は、並々ならぬものがある。しかしここでは、柳田民俗字の文学性について触れてみたいと思う(いささか強引ではありますが・・・)。

では何故、柳田は文学しているのか?実は柳田以降の民俗学者を皆文学させてしたったほど、柳田の視点や表現は文学しているのである(あくまで私見ですが・・・)。主な弟子は、当時としては反社会的な罪で逮捕されたり、社会主義的な思想の持ち主がいたようです。ですがそれらのお弟子さん達は、さておき例えば、戦前に日銀総裁を務めたことのある民俗学者の渋沢敬三(渋沢栄一の孫)しかり、その愛弟子の宮本常一先生(宮本先生は筆者にとって特別なので他の方々とは異なり敬称が入らざる得ません。あしからず。)しかりなのである。渋沢を中心としたアチックミユーゼアムにより進められた足半の研究スタイルから、それが非常に良く解る。そのスタイルを渋沢日く、「足半の研究を行う上で、必要なのは料学に基づいた解析とストーリーの構築である」と語っている。このスタイルこそ、リアリズムを追求する一種の文学ではないだろうか。後にまとめられた本研究(=所謂足半の研究)では、確かにフィールドより採取した情報を基に、足半のスタイルと変遷が細かく検証されている。一見民俗学の研究論文のようであるが、その実細やかなまなざしと、今や消えゆこうとしている足半への郷愁が、それぞれの描写に息づいている。さらに宮本先生に至っては、彼の名作「忘れられた日本人」に納められた「土佐源氏」に遺憾なく発揮されている。高知と愛媛の県境に近い山深い里にて語られる、目誣いた宅人の回想記録であるが、まるで昨日のことのように自分の人生を淀みなく語る迫力は、これはもうフイールドワークから得られたデータではなく、まさしく文学であると言える。特に宮本先生は、柳田との交流の中で、その影響を受けなかったと言う方に無理がある。したがって、柳田も、渋沢も、宮本先生も皆、文学しているのである。

柳田のライフワークの一つである、異界に暮らす人々(山男や妖怪について)を探る研究も、民俗学と言うよりは、好奇心と想像力をかきたてる幻想文学という方が、ずっと肌に馴染む気がする。例えば、フィールドワークにより得た情報を基に「一つ目小僧」の真相を明らかにする等、学問と幻想の問に横たわる濃い霧の中の情景を研究の成果として発表してくれる。そのスタイルを幻想文学と称して、何のはばかりがあろうか。このように読者に文面以外の想像力を喚起するさせるもの、これすなわち文学である。したがって、柳田はやはり文学しているのである。

次回は、同じく「遠野物語」の奥に踏み込んでみたいと忠います。

<参考文献>
「所謂足半に就いて」(アチックミユーゼアム編)アチックミユーゼアム
「忘れられた日本人」(宮本常一)岩波文庫
「民俗学への旅」(宮本常一)講談社学術文庫

NTR News第13号 (2000年8月21日発行) に掲載

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