趣味的民俗学ノオト

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今回は前回の続きにて、「遠野物語」のエピソードに踏み込んで見たいと思います。一つひとつの物語は、今までに様々な角度から、その意味を検証する作業が成されてきましたが、ここでは「柳田は文学している!」という前回からのコンセプトで引き続き展開させていきたいと思います。

第二回 物語の行方 〜文学と民俗学の間で〜

柳田文学の至高の名品「遠野物語」は、遠野の人−佐々木鏡石(喜善)−より聞き取りたる口伝を柳田がまとめ、発表したのが明治四十三年、柳田三十四歳の時であった。この物語の魅力は、凄まじい勢いで近代化しつつある日本にあって、未だ近世よりの雰囲気を醸し出す遠野という土地を、濃い霧の彼方から浮かび上がらせたところにある。後の文豪三島由紀夫が、「ここに物語があった!」と絶賛したほど、この物語は文学している。

代表的な物語を一つ挙げるならば、それは「川童」であろう。遠野の川童(かっぱ)の特徹は、柳田によると赤いらしい。五十九話には、「ほかの国にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭きなり。佐々木氏の曾祖母‥・云々」とある。この遠野の川童は赤いという現象は、かなり信憑性がある(らしい)。なんと遠野における川童の目撃例のほとんどが赤いのである。昭和四十年代における目撃例にも、赤く毛深い川童の目撃例が後を絶たない。次にその一例を紹介する。目撃者が、遠野は猿ケ石川の上流沿いの山道を歩いていると「ケチヤ、ケチヤ」とか「ゲチヤ、ゲチヤ」なる声を発した二匹の赤い川童が、数メートルの距離まで近づいてきた。恐ろしくなって石を投げると、二匹の川重は慌てて猿ケ石川に姿を消したという。この目撃例からは、どうやら一般的に知られている緑の河童と、遠野の川重は違うようである。そしてこの目撃談には、続きがある。川童を目撃した直後、炭焼きを訪ねた目撃者が先ほどの川童のことを話した。すると炭焼きは事も無げに、川童の数や色、様子を見てきたように話したという。遠野の山々では、つい最近まで川童が人々の生活の縁まで追っていたのである。このように、川童の目撃例は、柳田の記した「色」を踏襲している。柳田は、遠野の川童が赤いことを強烈に我々の心に刻み、さらに遠野に息づく川童の伝承(あるいは目撃談)を物語に昇華させたのである。

話は戻って、「遠野物語」の川童のメインイベントは、もちろん親子二代に渡り川童の子を身籠もる話しであろう。五十五話には、深夜に川童がとある娘の寝所に現れるが、家の人達は誰も取り押さえるどころか、身体が動かなくなり、やがて川童の子を産んだ娘の話が載っている。その産まれた子の手には、水掻きがあり、この娘さんの母親も川童の子を産んだことも併記し、川童との因縁深い血筋を匂わせている。そしてこの物語は、娘の家が遠野の村会議員を勤めたことのある旧家であることを記して終わっている。最後の一文により柳田は、この物語がノンフィクションであることを強烈にアピールしている。ここにも複雑な構成をモノともせず、六百字弱の文章の中に虚構なのか、はたまた現実なのか、判別の付け難い文学が紛れもなく存在している。遠野の川童は赤い!これだけで既に文学なのに、これでもかこれでもかとたたみかける川童の記憶が、柳田文学の骨子を形作っていることは言うまでもない。そして川童の子騒ぎの裏には、産まれた子を川童の子と称して間引かなければならない理由も見え隠れする。

こうして幾重にも絡み合った伝承を集積することによって、柳田は物語と民族学の間を自由に往来し、やがては文学へと昇華させるのである。この手法こそ、単なるフィールドワークの報告に留まらず、我々の胸にしっかりと色・形・匂い、そして風景を刻みつける柳田“文学”のスタイルなのだ。そして最後に物語は、読者それぞれによってたどり着く場所や行方が異なる結末を迎えることになる。この視覚や触覚にもうったえかける筆力が、民俗学と文学の間を自由に往来できる原動力であり、読者が物語を深追いすることにより、自分自身の立っている座標を見失うことにもなる不思議な魅力を携えていも言える。

次回は、「遠野物語」シリーズの最後として、物語の裏側に追ってみたいと思う。

<参考文献>
「遠野物語」(柳田國男著)…定本柳田國男集より 筑摩書房
「河童よ、きみは誰なのだ」(大野芳著)…中公新書
「山深き遠野の里の物語せよ」(菊池照雄著)…泉社

NTR News第14号 (2001年1月1日発行) に掲載

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