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さあ「民俗学は文学してる?」から始まり、「柳田は文学している!」と断じた一連のお話の最終回です。今回は「漂白する物語」と題して、柳田民族学の至高の一品「遠野物語」の裏側と現在(いま)との接点について触れてみたいと思います。

第三回 漂白する物語 〜やはり民俗学は文学だった〜

柳田國男の「遠野物語」において、目立たないながら小生が最も魅力を感じている物語に「マヨイガ」がある。あらすじは、『‥山中で道に迷った男が、とある屋敷にたどり着く。その屋敷は広大で牛馬鶏が溢れ、花が咲き誇り、食事の膳が用意され、鉄瓶の湯が沸いている。まるでつい先ほどまで人がいたような形跡が確かにあるが無人である。そこで男は恐くなって逃げ出す。云々‥・』という物語である。さらに六十三話では、主人公が男性から女性へと変わり、『とある貧しい家の主婦が、上記の屋敷にたどり着き、男と同じく怖くなり何も持たずに逃げ帰った。しかし、ある日、川に流れてきた赤い椀を持ち帰り、穀物を量る器として使用すると、穀物が一向に減らず、最後には長者になった。云々…』とある。「マヨイガ」にたどり着いたら、屋敷のものを何か持ち帰れという言い伝えが北上山地を望む地域にはある。その言い伝えには、神様が(?)幸福を授ける為に「マヨイガ」を見せるとあり、何も持ち帰らなかった正直な主婦の場合には、わざわざ椀を流してやって幸福を授けたと言うのである。この「マヨイガ」、陸(おか)の上の竜宮城と考えることは出来ないだろうか?山深い北国の想像力には一種独特の暗さ(あるいは不気味さ)が在るように感じられ、「マヨイガ」を竜宮城と言うにはいささか語弊はあるが、この「マヨイガ」はまぎれもなくこの世の物では無い。当時、北上山中の深い森の中で一生を暮らす遠野郷の人々には、「ここではない、どこかへ」という痛切な願いが秘められていた(ように思える)。このような人々の切望や想像が時には大きく、あるいは深く振動することで、「マヨイガ」のような物語を形成させたのではなかろうか。そして柳田は、その振動や揺らぎのひだを丁寧に取り出すことで、この物語を文学として成立させたのである。

また、「マヨイガ」の物語は「ロクロ師」や「木地屋」といった諸国を自由に移動し、木製食器等を創る集団との接点も見逃すことは出来ない。この「マヨイガ」の物語は、おそらく木地屋達が諸国を巡り、商売を始める場所で祖先の貴族性(代表的なのは、近江国愛知郡小椋庄を精神的な支柱にしている集団であり、その集団は小野宮惟喬親王の側近者の末裔と称する)と「マヨイガ」の物語を混沌として語り(→時には洞窟の中から椀を出して見せる等の神秘的な演出もしただろう)、村々の共有林から木の伐採の許可を得、さらには椀を作り販売する生業につなげていった。そして当初は嘘(?)で塗り囲められた一族の高貴な血の伝粛も、木地屋の数代に渡る歴史の中で、恵まれない山中移動の生活の苦しさを緩和する為に何時しか彼らの中では真実となつていったのである。先祖の栄光はこうして受け継がれ、全国を移動する木地屋集団の伝承と遠野郷でのみ暮らす人々の伝承とが緒み合い、「高貴な人々より、下々の者達へ幸せを授ける」といった流れが創り上げられてきたと考えるのは、行き過ぎだろうか。

時は流れて、昭和三十年代に入ってもこの「マヨイガ」の物語を忘れていない人達がいた。岩手県の奥地開発のために北上山系に作業員達が入山したところ、勤続三十年以上の営林署のベテラン職員が、見たこともないような桐の大木に出くわした。幹周りは大人六人の手を要したという。「マヨイガ」との接点は、上述したように流れきた椀を見つけて屋敷(=マヨイガ)の存在を知るパターンの他に、お化けのような大きな桐の花が流れてきて気づくというパターンも在る。そこで、営林署の職員を始めとして、作業員全員(約三十人)が、半日仕事を棒にふり桐の大木の周囲で「マヨイガ」を探し回ったという。しかし、「マヨイガ」にたどり着くことは出来なかった。これぞ、現代の「遠野物語」ではないだろうか。柳田の提示した物語は、つい最近までこの山深い郷に息づいていたのである。柳田の記した「遠野物語」は、時代の前後があるにしても、遠野に住まう実在の人物が関わっている(あるいは主人公の)物語である。現地では、山女が何処の家の出だとか、何処の家に何時までザシキワラシがいたとかが実しやかに語られていた。実在しているが故に「遠野物語」であり、「遠野昔話」でははない。

このリアリティーこそが、文学性のみならず遠野の魅力をも高める鍵にもなり得た。そして、この物語を何時紐解いても、霧の彼方に霞んで消え入りそうな虚構と現実を我々の前に差し出してくれるのである。しかし柳田の記した様々な物語(あるいは民俗学的な研究成果)に触れることの出来る場所は、当然のごとく少なくなっている。それは遠野という土地も例外では無い。柳田文学は、視点と表現と現場の三つの要素が揃うことで、より魅力が増加する数少ない文学でもある。さちに「遠野物語」は、本来遠野だけの物語ではなく、日本の原風景の一片を切り取ってきただけのことだったのである。寒い場所にはその風土に、暖かい場所にはその土地に寄り添う物語が溢れていた。一説によると、琉球に伝わる木の妖精「キムジナー(あるいはキジムナー)」、土佐の妖怪「ゑんこう」、そして遠野に代表される「河童」と「ザシキワラシ」は同じだと言う詰もあるぐらいで、本来は遠野と同じ風景が日本のそこここにあったのである。でも今となっては、それも夢のまた夢…。しかし、柳田の残してくれた物語という名の道標は、今も様々な人々の中に残されている。そしてこの物語に微かに潜んでいる想いは、今もそれぞれの時間、あるいはそれぞれの場所で漂白し続けている。あの日の記憶と共に…。

<参考文献>
「遠野物語」(柳田國男者)定本柳田國男集 筑摩書房
「山深き遠野の里の物語せよ」(菊池照雄著)泉社
「遠野のザシキワラシとオシラサマ」(佐々木喜善著)宝文館出版

NTR News第15号 (2001年4月20日発行) に掲載

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