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埋蔵金シリーズ(?)の二回目は、長者伝説の信憑性(?)について書いてみたいと思う。しかし掘りたいポイントがあるんだけどな・・・。

第七回 本当の長者伝説を追え! 〜その弐 デンセツハデンセツニアラズ、シンジツナリキ・・・?〜

前回「旦富利長者(ダンブリチョウジャ)」伝説の一回目として、何時頃・何処に・どのような長者が存在したかを書いたと思う。そこで今回は、長者伝説に無くてはならない「埋蔵金(埋宝)」伝説を追いかけてみるとする。

筆者が最初に秋田県鹿角市を訪れたのは、今から十五年も前のことだろうか。夏の暑い盛りで、250ccの単車にまたがり小豆沢の大日堂(大日堂霊貴神社)の前に着いたのは、日も暮れかかろうとする頃だった。蝉時雨の中、大日堂の前で暫し「ここか・・・」という感慨にひたったことを憶えている。夕暮れも近かったからだろうか、薄暗い中に目を凝らすと、彼の長者の徳を偲んで建立されたと伝えられる大日堂が浮かび上がってきた。

「旦富利長者」伝説は江戸末期に東北を旅した(今で言う)紀行ライター「菅江真澄」も書いている。また、民俗学者の宮本常一先生もこの伝説を採り上げ、「単なる養老伝説ではなく、夢買い長者伝説として扱うことの方が奥深い」と話されている。両者とも伝説として採り上げているが、埋蔵金を追いかけるには、伝説ではなく真実が必要である。そのためには、「旦富利長者」に最も関係の深い、出身地、屋敷跡、お墓、そしてこの大日堂こそ「旦富利長者」の中核を担う存在なのである。

長者が当初、子宝に恵まれなかった話は前回触れたが、その際にとある行者に教授されて背丈三尺(1m弱)の黄金の人型を数十体造り、ある場所に埋めて祈願したところ娘を授かったという説が伝わっている。その際の黄金の人型は、娘を授かった後もそのままにされていたと言う事であり、この黄金の人型が埋められた場所が大日堂付近と長者邸跡が最も有力だと言うのだ。もちろん筆者が訪れた時も掘り起こしたい衝動にかられたものの流石に実行には移さなかった。が、過去には数々の先達がチャレンジしたのであった。しかし、西暦で言うところの500年頃に、国内で背丈三尺の黄金の人型を数十体(一説によれば二十四体とも四十八体とも言われる)を造るほどの金が旦富利長者ともいえども手に入れられただろうか。国内の産金の歴史を紐解くと、第四十五代聖武帝の時代に初めて記録されている。しかし、長者の時代は、第二十六代の継体帝の御世である。聖武帝の時代までは、海外(中国大陸や朝鮮半島)からの輸入品であり、その数量も限られたものであったと考えられる。そうした史実から考えると三尺の黄金の人型数十体と言うのはいささか眉唾っぽい気がする。それに埋められた宝=埋蔵金と書いてしまうので、ついつい金が埋まっていると考えがちだが、時代背景から考えるとその頃の宝(銅銭や朱や珊瑚等々)が埋められていてもおかしくない。そんな背景を受けてか、旦富利長者の埋蔵金伝説の八割が、「長者は酒泉を発見して財を成したのではなく、金鉱(砂金鉱)を発見した」のだと言う説が占めており、是が非でも長者に埋蔵してもらわなければならない環境は揃っている。さらに埋蔵伝説裏付ける探索者が現れる。その名を「兎の宮」。長者の孫であり、継体帝の五番目の皇子でもあった。この宮、皇位継承権が低いこともあってか、お母さん(長者の娘である吉祥姫)が亡くなると祖父母と母の弔いのためと称して奥州にはるばるやって来る。お供は、乳母夫婦と金丸兄弟、そして史実にも登場する安保・秋本・奈良・成田の家臣達である。その家臣達と、長者にゆかりのある山に宮が登る(恐らく追悼のためとか称して)のだが、二度帰らぬ人となった。この山こそ、「五の宮岳」と呼ばれ、宮が帝の五番目の皇子であたことから命名されたとされている。命をかけてまで成した宮の奥州下向も実は、長者の埋蔵金探しが主な目的であり、そのために極少数の家臣だけを連れて、奥州までやってきたのだと言う(他には知られたくなかったのだろうか・・・)。宮の死後、安保・秋本・奈良・成田の家臣団が追悼のため地元に残ったとされているが、安保等の家臣たちは、宮の家臣ではなく鎌倉期以降に地頭職として赴任してきた武士であることが解かっているが、時代の異なる伝説と史実をミックスして伝えているところが、ますます眉唾ではあるのだが・・・。長者の孫までもが憑つかれた「埋蔵金伝説」。確かに眉唾っぽい匂いもするが、果たしてそうなのだろうか!次回、さらなる埋蔵金伝説の深部に迫ってみたいと思う。

<参考文献>
畠山清行(1973):日本の埋蔵金 上巻、番町書房.
宮本常一(1980):菅江真澄 旅人たちの歴史2、未来社.
菅江真澄著、宮本常一・内田猛編(2000):菅江真澄遊覧記4、平凡社.

NTR News第19号 (2002年8月1日発行) に掲載

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