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今回は、江戸時代のUFO(?)の話を書いてみます。筆者は、そのUFOの不時着した場所を探しに行ったのですが・・・。

第十回 Utsurobune 〜あの日、僕は「うつろ舟」の流れ着いた浜を探しに行った

享和三年(1803年) 亥の夏 五月八日の昼下がり、当時幕閣寄合席四千石の小笠原越中守の知行地であった常陸国(現在の茨城県)の「はらやどりの浜」に不思議な物体が流れ着いた。その物体とは、「三笠」とか「ドラ焼」と呼ばれている菓子に良く似た舟(?)であった。舟と言っても、その形から特定された訳ではなく、中に葡萄酒・水・干し肉のような食べ物、そして赤い髪の外国人と思しき女性が乗っていたことから、舟と知れたわけである。この物体が、世に言う「うつろ舟」である。

「うつろ舟」の記録は、当時の人気作家である滝沢馬琴(琴嶺舎)の発案による、回覧形式の噂話を集めた雑誌である「兎園小説」に記載されている。記録には、「うつろ舟」が常陸国「はらやどりの浜」の沖合いに現れると、地元の漁民が網をかけて浜に引き寄せた。「うつろ舟」には、水や食料の他に見慣れない文字(のようなモノ)が書かれた壁や女が大事そうに抱えた四角い箱などをガラス越しに見たと言う。漁民達が、その「うつろ舟」の扱いについて、対策を協議している間、「うつろ船」に乗って来た赤い髪の女は始終笑顔であった。「兎園小説」によると、この「うつろ舟」に乗った女は異国の王の娘で、不義密通が露見したが、王の娘であるため殺すことが出来ず、「うつろ船」で流したという推測が漁民により成されている。加えて、以前にも同様のことがあったと書かれている。当時の日本には、不倫をした末に流された女性が漂着していたことが、よくあったのかもしれないと思える記述である(それはそれで興味があるが・・・)。しかし、「うつろ船」の女の出自はあくまでも推定であり、はっきり確かめられた訳ではなさそうである。因みに先述した、赤い髪の女が抱えている四角い箱は、密通した男の首が入っているとのことであった(もちろん誰も確かめてはいない)。一部のSFファンには、この「うつろ舟」をUFOだとする説も論じられている。お菓子の「三笠」のような形は、まさしく「空飛ぶ円盤」であり、赤い髪の女は「人型宇宙人」だと言うのである。この話を筆者も学生の頃に目にし、一も二もなく信じた。もちろん、UFOであることを・・・。こうなると民俗学も歴史もSFも境界がはっきりしなくなる。早速、相棒である単車にテントと寝袋を積んで、茨城県「はらやどりの浜」に旅立った。現地では、太平洋の幸を所々で味わいながら「はらやどりの浜」を尋ねて歩いた。道路地図帳に掲載されていなかったが、「現地に行けば解かるだろう・・・」と意気込んでみたものの、海岸線の何処にも見当たらない。役場や漁師さん達に尋ねても、誰も知らない。一週間もかけて、福島県南部から千葉県まで南下したが、見つからなかった。単車のご機嫌はどんどん悪くなるし、ガソリン代もままならない。そして梅雨入り間際の旅立ちが災いして、雨は激しくなってくるわで、逃げ帰って来たのを憶えている。

後に読んだ澁澤龍彦氏の「うつろ船」なる小説に、「はらどまりの浜(ちょっと記述が異なるのが気になるが・・・)」は、「吉田東吾の『大日本地名辞書』にも記載が無い」と書いてあった。本当は、存在しない地名か?あるいは、馬琴の創作だったのか?もしかしたら、今なら見つかるかもしれない。それに当時の小笠原氏の知行地が正確に解かれば、きっとたどり着けるはずだ・・・。等々と、夢想している今日この頃である。まあ、たまには、民俗学かSFか良く解からないフィールドワークも楽しいもんである(しかし、なんでそんなことで、茨城県の海岸線を一人で一週間以上もぶらぶら出来たのか、今となってはよく思い出せない)。

<参考文献>
須永朝彦(1995):日本古典文学大系 幻想コレクション 奇談 兎園小説「うつろ舟の女(琴嶺舎)」、国書刊行会.
宮崎梓(1978):その空白部分を掘る 消された日本史、広済堂出版.
澁澤龍彦(2003):うつろ舟、河出文庫.

NTR News第22号 (2003年8月1日発行) に掲載

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