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前回、倉敷民藝館で「倉敷ガラス」に出会ったことを書いたので、民藝館つながりからしばらく各地の民藝館を巡るお話を書いてみたい。

第十五回 因幡の民藝館 −吉田璋也(しょうや)と鳥取民藝美術館のこと−

息子と二人で旅に出た。目的は、鳥取砂丘が見たいという息子の希望をかなえるためである。筆者が、「アラビアのロレンス」を観ていたら、息子も横に来て観ていた。後で感想を聞いてみると、「よくわからなかった」とのこと。だが、砂漠の風景と駱駝にのるロレンスがかっこいいという。気を良くした筆者は、国内にはあんなに広大な砂漠はないが、砂丘と駱駝がいることを息子に伝える。すると、みるみる息子の目が輝き、そこへ連れて行けと言う。その時は、「また今度ね」と話をはぐらかしたが、毎日「何時行くの?」と聞きに来る始末。とうとう、筆者も根負けして、鳥取に出かけることにした。

しかし、あいにく当日は雨で駱駝はお休み。砂丘の前で我々は呆然と立ち尽くす。しかし筆者は気を取り直し、荒れる息子をなだめつつ鳥取民藝美術館に向かう。鳥取駅から徒歩数分のところにある民藝館は、すっかり町並みに溶け込んでいるように見える。民藝館の脇には無縁仏となった地蔵が集められた童子地蔵堂がある。この地蔵さん達がみな良い顔をしている。息子もすっかり駱駝のことなど忘れて見入っている。地蔵堂脇の石段を上がると、民藝館である。この民藝館、吉田璋也氏の個人的な収集から始まったものらしい。

吉田氏は、地元の開業医であり、柳宗悦氏に師事した民藝運動家でもあった。学生の頃から、民藝に関心を持ち、第二次大戦中は中国戦線に軍医として従軍。大陸でも民藝品を発掘し、広めてきた経歴を有する。終戦後しばらくして、故郷の鳥取にて開業するが、それと同時に故郷での民藝品の発掘やプロデュースを手がけることとなる。古いものを発掘するに留まらず、新しく創造することにも力を入れた。今でも、吉田氏のプロデュースした民藝品(陶器・木工・ランプ ・和紙etc…)が鳥取の特産品となっている。

この民藝館で特筆すべきは、独自の出版物が充実していることである。吉田氏の著作については因州和紙を用いた製本もあり、独特の書籍展開をしている。そして、民藝館・民藝店(たくみ民藝店)・民藝料理店の三館が揃って運営されていることも挙げられる。吉田氏によると、美しいモノを観て、気に入ったモノを購入し、そして日常で使ってもらう。このサイクルを通して、職人と日常をつなぐ役割をこの三館で担いたいとしている。思想と実践が今尚一致しており、この一致が他の民藝館と趣を異にするところではないだろうか。

最後に、筆者の気に入った収蔵品を紹介しておく。先ずは、牛込焼きである。三種類の釉薬が微妙に境界部分で混ざり合い、とても美しい皿が目を引いた。この器は、その窯の灯火(ともしび)が消えそうになっていたのを、吉田氏がプロデュースして再興したらしい。今もその意気込みが伝わってくる。そして、鳥取民藝家具である。シンプルな椅子に心引かれた。世の中では、イームズだ、ライトだと海外の作家モノに人気が集中しているが、鳥取民藝家具も負けてはいない。近年、作家の福田氏が亡くなられたこともあり、同じ種類の椅子は手に入らないが、民藝館の二階で実際に座ることができる。座り心地満点である。息子も、この椅子が気に入り離れない。息子に帰ろうかと声をかけると、「この椅子を持って帰りたい」という。息子もなかなかいいセンスをしていると気を良くした筆者は、「また今度な」となだめて帰途に着いた。すると翌日、息子が「あの椅子は何時持ってくるの?」と・・・。

<参考文献>
吉田璋也(1974):「たくみ」と新作民芸(三版)、(財)鳥取民藝美術館.
吉田璋也(1980):生活的美術館・附 鳥取のうまいもの覚え書(三版)、(財)鳥取民藝美術館.
(財)鳥取民藝美術館編(1992):鳥取民藝美術館、鳥取民藝美術館.
(財)鳥取民藝協会編(1998):吉田璋也−民芸のプロデューサー、(財)鳥取民藝協会.
(財)鳥取民藝協会編(2001):吉田璋也のものづくり、(財)鳥取民藝協会.

NTR News第27号 (2005年4月1日発行) に掲載

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