趣味的民俗学ノオト
筆者は生まれてすぐ神戸に越してきて以来、学生時代を除いて神戸市あるいはその周辺で暮らしてきた。そのため神戸での食事や買い物に思い出がいっぱい詰まっている。あの筋、あの通と懐かしい風景が沢山あった。しかし、あの阪神大震災で、神戸の様子も一変。そこで、今回からは私的神戸考現学と題して、懐かしの風景を綴ってみたい。尚、民藝館特集には後一館書いておきたいので、それは後日改めて・・・
第十六回 私的・神戸考現学 −失われた味を求めて・・・−
神戸を代表する味を挙げると、洋食、洋菓子、そして神戸牛を挙げる人が少なくないと思う。しかし、今回は地元の人が利用する、「ハレ」の味、それも既に神戸から失われた味について書いてみたい。 先ずは、三宮センター街と元町センター外を繋ぐ「柳筋」にあった「山田の案山子」である。もの心ついた頃には、父に連れられて通った「串かつ」の名店であった。細長い、京都の町屋の様な奥行きのある店で、手前にカウンター、奥にテーブル席が二つほどあった。もちろんここではカウンターに陣取るのがいつものパターン。店の主人と思しき男性は、頑固そうで口数の少ない人であった。季節ごとに変わるメニューは魅力的で、素材の味をストレートに表現した揚げは見事であった。揚げ油は常に新しく、何時訪れても新鮮な食感と心地より満足感が得られたものであった。震災後、しばらくして店を畳んだようで、あの味に二度と逢うこともなくなってしまった。
そして、神戸市営地下鉄湊川公園駅南にあった「美丁(ヨシチョウ)」である。戦後すぐから、戦争未亡人の互助組織的な集まりから営業を始めた老舗の「お好み焼き」の店であった。なんと、「お好み焼き」という商標登録を行った店でもあった(因みに神戸では、「お好み焼き」のことを「肉天」と呼んでいたらしい)。特筆すべきは、卵を入れない「粉焼き」と称するお好み焼きと「焼き飯」である。粉焼きは、豚・すじ・牡蠣・肝との相性がすばらしかった。そして、「焼き飯」である。よく磨かれた鉄板の上で、パラパラになるまでいためられた肉焼き飯。卵を別に炒め、二本のコテで手際よく切り分けていく手際に見入ったものである。独特のさっぱりとした味付けにすっかり参ってしまった。清潔な店内は、全て女性で仕切られており、糊の効いた白い上っ張りを全員が羽織っている。注文への対応や供される全てのメニューのエッジがきっちりと立っている。そんな雰囲気であった。食べ終わって、素直に「ご馳走様でした」と手を合わせられる味と雰囲気がこの店にはあった。しかし、震災後店を閉じてしまった・・・。
その他、三宮浜側の「キングスアームス」のロースとビーフ・冬だけの営業であった元町山手の「かき十」の土手鍋・三宮山手の「ダニーボーイ」のハーフ&ハーフのビール(七:三の割合で黒ビールが少ない)等々、神戸から失われた「ハレ」の味は多い。高級ではないが、何時も食べられる訳ではない味。これを筆者は「ハレ」の味と呼んで大事にしてきた。しかし、震災や景気により失われていく味は多い。新しい物がだめで、古いものが全てとも思わないが、生まれた土地や青春を過ごした街が、何時までも心の中から消えないように、「ハレ」の味もまた消え去ることは無い。「失われた味を求めて・・・」と題して書いたのだが、求めたのではなく、懐かしんでしまった。しかし、紹介した「美丁」の味は、同じ湊川界隈で「一ソ十(いそじゅう)」という名の店が味を受け継いでいる(「美丁」の元従業員さんが始めたようだ)。早速味わったが、懐かしい味であった。失われた味を求めることが出来る例かと思う。
街は遷り、人が変わっても、変わらない味もある。何時の日にか、街の変遷と併せて神戸の味を綴ってみたいと思っているのだが・・・。まあ、今夜あたりは、自作のお好み焼きを肴に、街の変遷に思いをはせてみることとする。
<参考文献>
見田盛夫監修・GROUP HUSH(1986):おいしい神戸 エスノタウンの味散歩、駸々堂出版.
島田光夫/角田嘉宏監修・食総合研究所(2002):うまいもん探偵の味噺 神戸のグルメ今昔、神戸新聞総合出版センター.
生活協同組合コープこうべ(2003):coopステーション、2月号、p26.
※NTR News第28号 (2005年8月1日発行) に掲載

